小学校の先生を120%楽しむ毎日

小学校教員の日々の振り返り。教員志望の学生さん、同業の方、保護者の方、教育に興味のあるすべての方へ。

運動会が終わって職員のみなさんへ

以下の内容、そのまま、職員用ののホームページに載せました。

 

 

 

運動会おわりましたね。
皆様、いかがだったでしょうか。
反省はこちら

今回目指していた子どもの姿は

規律の徹底
主体性の発揮

だったのですが・・・


うーむ。

運動会って
主体性を発揮する場面が
そもそも少ないよなあと
改めて思いました。

もっと言えば、運動会は集団で動くことが多いので、主体性を発揮されると困る場面
の方が多いような・・・。

主体性の発揮をねらうなら、一人一人が主体性を発揮する必要性とその場が担保され
てなければならない。

そこで、生まれた問いは
運動会が全員参加である以上
「一人一人が主体性を発揮する運動会」
などとというものは、
夢物語なのではないか、ということ。

やっぱり、どんなに時間をかけても、
運動会が全員参加ありきだと、
企画運営する側と、お客さんという構図になると思うんです。

集団において、一人一人が主体性を発揮するというのは人間の性質上あり得ないので
しょうか。
パレートの法則にのっとって、2割が主体性を発揮して、集団を動かすことしか起こ
りえないのか・・・。

違うと思います。
一人ひとりが主体的に動いている組織は山ほどあります。ベンチャーなんかは一人一
人が指示待ちだったら回らないでしょうしね。
大事なのは、一人一人が価値ある目的を認識し、本気でそれに向かっていけるかどう
か。

やっぱり、どんなに綺麗ごと並べても、運動会が苦手な子にとって、運動会に参加す
ること自体、とても不自然なことだと思うんですよ。
みなさんも
自分が一般企業に入って、
「社員運動会は、全員参加だ!」
とか言われたら、引きませんか?
「とんでもないブラック企業に入っちまった」
って後悔しませんか。

本当に運動会を子ども主体にしたいのなら、希望者のみ参加の運動会にするべきなの
かもしれません。

 

運動会に限らず
体育って、みんなの前で
自分のパフォーマンスをさらけ出す
時間ですからねえ。

どうしたって、他と比べてしまうでしょう。
運動が苦手な子に関しては
基本的に耐える時間ですよね。

運動会にいたっては
自分の弱みを全校の前でさらすことになるんですよね。

だから、運動好きで
腕に覚えあり。
みたいな子が、参加して切磋琢磨
すればいい。

とにかく、苦手克服
という発想よりも
強み強化の発想の方が

社会的にも、子ども的にも
メリットがあると思うんです。

そんなことを言うと、
「運動の楽しさに気付けるチャンスを一人一人に与える必要があるから運動会が必
要」という方もいるでしょう。
でも、そもそも運動の楽しさに気付けなくても良くない?
運動以外にも、他に楽しいこと山ほどあるし。
大きなお世話。


さて、話題は変わって・・・
そもそも「主体性を高める」って、発想も、大きなお世話なのかもしれませんね。
「めんどくさいから、他の人の考えにとりあえず乗っかっとこう」
こうした判断も、主体性を発揮しているわけですよね。それもその子の人生だし。
むしろ、
「もっと、主体性発揮しろよ!」と言われて、それっぽい行動ができてしまう子ども
の方が、主体性がないと思います。

まあ、主体性という言葉自体
バズワードだから、この辺の解釈も「主体性」という言葉をどう定義するかによって
大きく変わってきてしまうのですが・・・。

私の場合、主体性とは
「他者からの評価を気にせず、自分の価値基準をもとに行動する態度」
です。

もちろん、他者の価値基準は尊重しますが、「いい・悪い」の評価はしない。

だから、ただただ、破天荒に、アウトローに生きる、というイメージではなくて、
ピュアに、フェアに、好きなものは好きと言う。好きを追究していく・・・というイ
メージでしょうか。

私も正直なところ、学校において、主体性を発揮している子どもの姿というものが、
まだまだ不鮮明です。ぶれブレです。

ただ、教師側として、うすうす感じるのは、実のところ、子どもに主体性なんて発揮
してほしくないっていうのが本音なんじゃないかなということ。
一斉指導で、子どもを掌握している感覚、その万能感のようなものに、ついつい酔い
しれて、自分の思いをがっつり押し付けてしまう。
また、今の公教育の条件で、一人一人がガチで主体性を発揮されると、現実的に、学
校が成り立たないということもありますよね。
子どもの主体性の発揮は「教師の手のひらの上でのみOK」というのもなんだか違和感
があります。

もっと社会について、人について勉強しないと、この辺のもやもやする気持ちに決着
できなさそうです。


さて、いずれにしても
主体性の発揮には、リスクが伴います。下手をすると、周囲との摩擦で、消耗するだ
け。
そのリスク承知で、自分の意思を貫き、行動できるかどうかは、
主体性を発揮したくなる集団に所属しているかにかかっているのかもしれません。

現に、私は実感しています。

愛着もなくて、「周りが敵だらけ」と思っている職場だったら、こんなこと書き込み
ません。

結局何がいいたいかというと
みなさん
愛してますよ。

 

運動会ありがとうございました。