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小学校の先生を120%楽しむ毎日

小学校教員の日々の振り返り。教員志望の学生さん、同業の方、保護者の方、教育に興味のあるすべての方へ。

キャリア教育

来年度、キャリア教育に力を入れていきたいと思っています。

以下、下記の資料より。

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/06/16/1306818_04.pdf

キャリア教育の定義

一人一人の社会的・職業的自立に向け,必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して, キャリア発達を促す教育

(中央教育審議会「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について(答申)」(平成 23 年1月 31 日)

 

 

キャリア発達を促す教育・・・。

そもそも、ここでのキャリアの意味合いは・・・?

 

 

キャリアとは

 人は,他者や社会とのかかわりの中で,職業人,家庭人,地域社会の一員等,様々な役割を担いながら生きている。これらの役割は,生涯という時間的な流れの中で変化しつつ積み重なり,つながっていくものである。また,このような役割の中には,所属する集団や組織から与えられたものや日常生活の中で特に意識せず習慣的に行っているものもあるが,人はこれらを含めた様々な役割の関係や価値を自ら判断し,取捨選択や創造を重ねながら取り組んでいる。人は,このような自分の役割を果たして活動すること,つまり
「働くこと」を通して,人や社会にかかわることになり,そのかかわり方の違いが「自分らしい生き方」となっていくものである。
 このように,人が,生涯の中で様々な役割を果たす過程で,自らの役割の価値や自分と役割
との関係を見いだしていく連なりや積み重ねが,「キャリア」の意味するところである。

(中央教育審議会「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について(答申)」(平成 23 年1月 31 日)

 

 

なるほど。

人や社会との関わり方の違いが「自分らしい生き方」

となっていく。

なるほど。生き方の違いは、「関わり方の違い」ね。スッキリする。

 

そして、
キャリアの意味するところは

自らの役割の価値

自分と役割との関係

これらを見出していく連なり、積み重ね

なるほど。

 

子どもたちをめぐる課題

子どもたちが育つ社会環境の変化に加え,産業・経済の構造的変化,雇用の多様化・流動化等は, 子どもたち自らの将来のとらえ方にも大きな変化をもたらしている。子どもたちは,自分の将来を考 えるのに役立つ理想とする大人のモデルが見付けにくく,自らの将来に向けて希望あふれる夢を描く ことも容易ではなくなっている。

 

 

「うん。そりゃそうだよね。」という感想しか出ない。

第一、普段最も触れ合う大人って、学校の先生ですからね。

 

学校の先生が子ども相手に悪戦苦闘している姿を見て

希望あふれる夢を描くことは容易ではないでしょう。

 

また、理想とする大人のモデルを見付けるには、

今は良くも悪くも選択肢が多すぎますし・・・

 

価値観も多様化して、

鉄板の人生設計みたいなものがないですよね。

 

時代の空気感も大人から感じ取っているのでしょうか。

先行き不透明な不安感・・・。

 

まあ、いずれにしても

子どもたちが一番見る大人の姿が

学校の先生って、

ちょっと偏ってるし、不自然だと思うんですよね。

 

「学校って世の中から孤立しているよな・・・なんか息苦しいな」

私は学生時代からそんな風に感じていたので

なおさら、今の学校教育がいびつなものに見えるのです。

 

これだけSNSが発達して、本当は誰とでも繋がれるのに

「いまだに子どもたちは学校に囲い込まれている。」

そんな風に勝手に思い込んでいます。

 

もっと外の風を呼び込んで学校の息苦しさをなくしたい。

子どもたちと多様な大人を引き合わせたいんです。

多様な価値観、生き方に触れて欲しい。

(この辺の考え方、かなり館野峻さんに影響を受けているかもしれません)

 

もちろん、学校には、色々な先生(大人)がいます。

でもね・・・やっぱり先生は先生なんですよ。

どんなに破天荒で、型破りな先生も

先生という職業を最終的に選ぶ時点で

価値基準や考え方に通じるものはあると思うんですよね。

 

 

もっと言うと、

私はもはや、学校しか知らない学校の先生はこれから

通用しなくなるんじゃないのかなあ、と思うんです。

 

いや、この言い方はすごく生意気で語弊がありますね。

正確に言うと、今まで学校が良しとしてきた価値観を絶対視する先生、というのでしょうか…。

時代の変化を勉強し、今子どもたちに何が必要か、自分の頭で考えて発信していない(できない)先生は、当然のことながら、価値を提供することができないですよね。

 

学校の権威は地に落ちています。

保護者との関係性も変わっています。

昨今のモンスターペアレントの出現もその1つ。

(まあ、これは学校に限らないでしょうが…インターネットで世界中繋がって、知識の共有が無償でできるようになったことによって、ありとあらゆるところで、「権威が権威でなくなっている」)

 

時代の流れは、ありとあらゆる事物において

中央集権だったものが分散していく。

 

ビットコインなどの仮想通貨も

国が発行する貨幣を一個人が発行し、

独自の経済圏がいたるところで生まれる時代へ突入していることを示している。

 

教育も同じ。すでに分散化は始まってますよね。

っていうかかなり早い段階から分散化は始まっていました。

塾、チャレンジなどの通信教育だって、そうでしょ。

最近になって、e-learningなど。

これらはすべて教科指導の分散化。

 

教育は学校の専売特許ではない。

 

そのことを自覚しておかないと

学校の先生のことを

誰も「先生」として頼らなくなってくるでしょう。

 

そもそも、これは当たり前の話で、学校しか知らない学校の先生が

学校で行う教育活動の価値をプレゼンしても

それは、完全に手前味噌な話で、説得力がない。

 

「こんな勉強なんのためにやんの?」

と、聞かれた時に、どんなに言葉を重ねて説明しても

「そりゃ学校の先生ならそう答えるよね」という反応しか得られない。

説得力のある、実感のこもった回答はそもそもできないんだもん。

学校の先生としてでしか、人や社会と関わったことがないから。他で生かした経験がないから。

 

だったら、そこは開き直って

学校の外にいる大人が

学校教育の価値を語ってくれたほうがいい。

そして、色々な価値観があり、

人や社会との関わり方があることを語って欲しい。

 

そんな風に考えています。