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小学校の先生を120%楽しむ毎日

小学校教員の日々の振り返り。教員志望の学生さん、同業の方、保護者の方、教育に興味のあるすべての方へ。

児童指導の目的は子どもが毎日学校を楽しめるようにすること

子どもと関わることについて、教員にルーティン業務となり得ることはないはずですよね。

 

相手は日々成長し、変わっていく子どもです。

 

…にも関わらず、子どもと関わる中でルーティン化してしまうところがあります。

 

私にとってそれが、

児童指導

主に社会性の育成を目的とする、学習以外の生活態度に関する指導です。

 

 

この児童指導。なぜ、ルーティンになるか、私なりに考えたところ、その理由は3つ。

 

1.感情が絡む

ここで言う児童指導の場面とは、教師の事前指導が足らずに子どもが(教師目線で見ると)やらかした時です。私にとって、「このヤロー!」と思うこと山の如し。

だから、叱る(怒る?)場面になりがちです。

 

2.後手に回った時の児童指導についてなるべく考えたくない

上述のように、「児童指導=子どもを叱る」と思い込み、児童指導という言葉を聞いて、ポジティブなイメージをもつ教師はいないのではないでしょうか。

私は、困難や予期せぬエラーにワクワクするようないわゆる「少年マンガの主人公」的なタイプではないので、嫌なことは全力で回避します。

だから児童指導をしなくても済むように、事前指導について、前向きに考えることができても、自分の抜けや子どもと価値基準を共有できなかった時のことまで考えたくないんですよ。

そうなると、その場のノリで指導することになる。したがって振り返りも雑になり、自分の指導の改善策もフワッとする。

しかも児童指導をする時って、教師は後手に回った感があるので、テンパってロクな指導が出来ない。

そうして思い込む。

後手に回った時の児童指導のクオリティは、経験値と人間の器がモノを言う。

ブラッシュアップしづらいところだからこそ、ルーティンにならざるを得ないのではないかな、と。

 

ちなみに私は「児童指導を行うのが好きで好きでしょうがない!」という人を私は未だかつて、1人しか見たことがありません。

 

3.しょうもない児童指導(ただ怒るだけ)をして、子どもの行動が変わった経験を積むと「俺の熱血指導が響いた」と悦に浸ってしまう

 

うん。これはもうダメ。絶対。

 

 

…とまあ、以上のように、なかなか私にとって、ルーティン化していたというより、進歩がなかったところ。

 

しかし、先週の金曜日。

少し進歩できたと思えたのです。

 

そして、タイトルのような児童指導の目的について気づくことができました。

 

それはまた次回!