/>

小学校の先生を120%楽しむ毎日

小学校教員の日々の振り返り。教員志望の学生さん、同業の方、保護者の方、教育に興味のあるすべての方へ。

卒業していく6年生に伝えたいこと

今年度、5年生担任の私が、6年生の算数を任された。

 

正直、関わりが中途半端だったし、納得のいく授業をすることが全然できなかったし、子どもたちとの関係性も微妙だ。

1回1回の授業に、その「時間」に、もっと真剣に向き合っていれば、もっと違う結果を得られただろう。

 

しかし、おそらく2月までで教科担任制は終わってしまう。

その前に子どもたちに少しでも何か伝えたい。

そんな自分が何を伝えたいかというと・・・

 

「命の使用責任者は自分である」

ということである。

 

どういうことか説明する。

私から見た6年生は、基本的に人懐っこいし、そこそこ素直。

ただ、色々と・・・

「甘い」「ゆるい」「ぬるい」そんな風に感じていた。

 

ただ、そんなのとんでもなく上から目線。

「そういう自分はどうなんだよ」である。

 

6年生との関わり方、向き合い方がまさに「甘い」「ゆるい」「ぬるい」に尽きる。

「価値ある時間を子どもたちと創っていく努力」が足りなかったのだ。

授業も自分のやり方に固執して、その結果うまくいかないことを子どものせいにしていた。

だからこそ、自分と6年生の子どもたちとの距離感がある。

私がもし、子どもたちともっと真剣に向き合い、子どもたちの思いを丁寧にヒアリングして、それを授業に活かせばもっと喜びを共有できたはずだ。

このように後悔することは・・・

もったいない。実にもったいないことだ。そして、寂しい事だ。虚しいことだ。

 

 

なぜなら、

「命とは時間」そのもの。よって、有限である。

そして、限られた時間をどう過ごすかの決定権は、幸い日本のような国では個人に委ねられている。

「授業とは、教師と子どもが限りある命を差し出し、共有している状態」だ。

そんな状態で、お互いの命をどう使うか、決定権は私にもあった。子どもたちにもあった。

 

私が感じている「寂しさ」や「虚しさ」は紛れもなく、この辺りの事情に起因しているはずだ。

要するに、

「6年生の子どもたちと私でシェアできた喜びはもっとあった」

と思っている。

 

その時々で、できる限りのことをして、周りの人と喜びをシェアしていく。

それは、私が目指す生き方だ。

無論、子どもたちは違った生き方をしていいと思う。

 

ただし、少なくとも学生時代は

自分のためだけに、自分のプラスになるように、時間を過ごして欲しい。

そして、自分にとって何がプラスになるのかをよく考えてみて欲しい。

 

大きなお世話だろうが、そう願わずにはいられないのである。