小学校の先生を120%楽しむ毎日

小学校教員の日々の振り返り。教員志望の学生さん、同業の方、保護者の方、教育に興味のあるすべての方へ。

チャレンジがきつくなる理由

私のクラスの学級目標は

 

宇宙へ飛ばせ

協力・信頼の5ー3ロケット

 

です。

 

 

子どもたちと共有しているイメージは

 

「宇宙という、未知の場所へも

協力して、信頼し合える5-3のみんなで

挑んでいく。」

 

…なんですが。

 

 

最近、子どもたちの活動が停滞しています。

例えば、総合的な学習の時間で立ち上がっている数々のプロジェクト。

 

野菜づくり

自分の学校の給食の残量調べ

小麦畑づくり

 

などなど。全て凍結。休み時間も使って、活動に熱中している子がいない。

子どもたちが意気揚々と立ち上げたプロジェクトを完遂しようとせず、尻すぼみになっていくのは、見ていてなんとも切ない気持ちになります。

 

やる気を持続する。

そのためには、日々やる気が出るものに触れること。モチベーショントリガーを引くこと。

 

その一助になれば、と。

昨日、朝のモジュールの時間に

 

◯今日チャレンジしたいこと

◯チャレンジするとどんないいことがあるのか

 

を書かせました。

 

本当は帰りの会で、チャレンジしてみてどうだったのか、振り返りたかったのですが…

 

時間がなくてそれもできず。今日子どもたちに聞いてみるのが楽しみです。

 

 

さて、自分も子どもたちと一緒に毎日チャレンジしたいことと、チャレンジするとどんないいことがあるのか。

記録していこう。

そう思い、先程取り組んでみました。

 

 

しかし、これ。

やってみるとなかなか暗澹たる気分になりますね。

 

チャレンジするって、普段していないことをやってみることだと思っています。

 

ただね、普段していないことには訳があるんですよね。

 

苦手なことだったり。

前に嫌な目にあったことだったり。

そして、何より。

 

普段自分がしないことは、自分が価値を感じていないんですよね。

 

例えば、私の場合、チャレンジしたいことで、真っ先に浮かんだのが

「授業の中で雑談、余談を挟むこと」

 

リラックスした雰囲気の中、楽しげに子どもたちに余談を話す。密かに憧れていることです。

でも、自分には合わない。

ていうかできない。

余談を話すことを意識しすぎて緊張してガチガチになってしまう。そんなだから、話す内容も上滑りして、まあつまらなくなる。

 

勇気を振り絞って話した結果、子どもたちが顔を引きつらせながらも、気を遣って笑ってくれるあの感じ・・・

思い出しただけで、

「あ“ーーーーーーーーー!!!!」って叫びたくなります。

 

そもそも、授業の最中に横道にそれる話をしたくない。自分自身の集中が途切れてしまうんです。

そこでの子どもとのやりとりも、別に楽しいと思えない。この話に食いつく前に、授業の中身にもっと食いついてくれよ。

と思ってしまう。

 

つまり、私が雑談、余談を挟まないのは、自分の強み、弱みを意識した上で、一人一人の子どもが熱中し、没頭している授業を目指しているから(まだまだ程遠いけど)なんですよね。

 

チャレンジすることを目的にすると、本来の自分が目指すこととはかけ離れていくことがある。

 

ということでしょうか。

 

チャレンジは、あくまで手段。

 

目的を達成するために、背伸びする必要があるときにチャレンジすればいいんですよね。

 

だから、まず。

目的を徹底的に考え抜き、その目的を果たすとどんないいことがあるのかイメージしないと、そもそもチャレンジする意味がない。

 

どんな学校生活にしたい?

この問いに対し、「平穏無事に1日が過ぎればそれでいい」そんな風に思っている子もいるかもしれないですよね。

 

私も中学校時代はそうでした。

 

そんな子にとっては、チャレンジなんて全く不可解。意味不明。

 

まずは、

バラ色の学校生活を夢見れるようにしていくこと

 

それが、チャレンジしたいと思う気持ちを育てる第一歩なのかもしれませんね。

 

チャレンジがきつくなるのは、チャレンジすることを目的に据えるから

 

それって、無目的に、一寸先も見えない暗闇の中でジャンプしようとするようなもの。

狂気じみてます。

 

結局、教師にできることって、チャレンジ「させる」のではなくて、ステキなビジョンを描けるように、一人一人の成功体験を地道にプロデュースしていくことしかないのかな。