小学校の先生を120%楽しむ毎日

小学校教員の日々の振り返り。教員志望の学生さん、同業の方、保護者の方、教育に興味のあるすべての方へ。

環境を変えよう

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自分を変えよう変えようとして、苦しんでいる方にぜひ購入して最後まで読んでいただきたい。

 

「他人と比較しない自分」を育てる5つのポイント。(有料記事) : まだ仮想通貨持ってないの?

 

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先日、こんなツイートを投げたら、予想外にバズって二重で驚きました。

「妻と雑談してて驚いたのですが、世の中には「同じ空間で他人が褒められていると劣等感を抱く人」がいるんですね。
「あの人は褒められて、なんで私は褒められないんだろう、私はやっぱりダメなんだ」みたいな。
ぼくはそういう感覚ゼロだったので、素直に驚き。でも、こういう人は多いんでしょうね。」

こうしたシーンで劣等感を抱く人は、ぼくが思っているより多いのかもしれません。みなさん、なかなか繊細なんですね……。

この心理というのは、突き詰めていくと

「無意識レベルで、他人と自分を比較してしまう」

という話に行き着くのではないかと思います。

自分とは関係のない他人について、なぜか比較してしまう。
友だちや同僚が活躍すると、焦ってしまう。
ともすると、嫉妬してしまう。

その一方で、自分が活躍することにも、どこか気兼ねしてしまう。
自分が前に出ることで、誰かの気分を害してしまう気がする……。

こうした心理は行動力を落とすので、人生の早いうちに振り払っておきたいものですよね。

うちは2人の娘がいますが、彼女たちにもこういう心理を抱えておとなになってほしくありません。

というわけで、どうすれば「無意識レベルで他人と自分を比較してしまう」ことから抜け出せるか、考えてみました。

1. 他人の評価は、絶対的なものではないことを理解する。
かくいうぼくは、他人の評価とかまったく気にしません。

というのも、ブログを書いているとわかるんですが……他人の評価って、ほんっとーに!あてにならないんですよ!

経験上、他人の評価や意見が役に立った経験は……ほとんどありません。傲慢なようですが、これほんとうなんです。

ネガティブな反応を貰おうが、ポジティブな反応を貰おうが、自分の事業、自分の人生とは無関係と言わざるをえません。

特に、ネットで見知らぬ他人から届く評価とか、ゴミ箱にそのまま捨てていいレベルで無益です。気にするだけ時間の無駄。

たとえば、あなたがこの書籍を「役に立たない」と評価したとします。そしてブログに「イケハヤの新刊はダメダメだった」と書いたとしましょう。

ぼくはこうした評価は一切気にしません。

「まぁ、そういうこともあるよね」という程度の反応でしょうね。

その逆に「すごく役に立ちました!」という意見にも、特段耳を貸さないでしょう。

「まぁ、そりゃ役立つこともあるよね」という程度です。

ひとつの事象についての評価なんてものは、受け手や時代、タイミングによって大きく変わるんですよ。

ぼくが大好きな作曲家のマーラーは、存命中は評論家からボコボコにdisられていたそうです。「マーラーの音楽など、音楽じゃない」と言われながら死んでいった彼は、今では伝説的な作曲家ですね。

これとは逆に、ヒトラーなんかは生きていた時代に多大な支持を集めていたわけですよね。今では虐殺者、大悪人の代名詞であるにもかかわらず。

こういった逸話は枚挙にいとまがありません。人の評価なんてものは、そのくらいあてにならない。これは歴史的な事実なので、評価や意見は気にするだけ無駄。

あなたが評価されたとしたら、それはたまたま、タイミングや環境がマッチしていただけ。

あなたが評価されなかったら、それはたまたま、タイミングや環境がマッチしなかっただけ。

それはもう、そういうものです。

他人の評価というものは、それくらいコロコロと変わるものであって、まったくあてにならないんです。これをよく理解することから始めましょう。

 

教師の評価って、ものすごく曖昧じゃないですか?

 

セミナーなどで出会った、本を出すようなすごい先生方も、様々な軋轢に悩み、憤りを感じ、それでも信念を貫こうと必死で足掻いているように見えました。

(そういうところに、すごく親近感を覚えて嬉しかったし、逆に活力を得たから、本の中のカリスマ教師をよりリアルに感じてもらおうと、CKenを立ち上げ、居酒屋でセミナーを開いたのですが・・・)

 

考えてみれば当たり前の話なのですが、教師である以上、常に「自分」のことを評価してくれる環境などは、まずあり得ないはずなのです。

 

その理由は、教師、保護者の思想、信条は人それぞれということ。

 

たまに、子ども同士のトラブルを保護者に報告すると

「うちは、やられたら2倍にやり返せって子どもに言ってますから(キリッ)」

という謎の決め台詞を吐き捨てられて、巧妙に議論をすり替えられることがありますが・・・

 

「心底どうでもいい。」

「だからなんなの?」

 

まあ、私などはそう思うのですが。

そういうことを言う保護者も、至ってまじめにご自分の教育観を語ってくださっているのでしょう。

まあ、極端かもしれませんが、それだけ価値観やら、その人によって、思想、信条、教育観は違うという、一例だと思うんです。

 

これは、保護者の一例ですが、仲間である先生方も、お一人お一人、全然違う教育観を持っている。

 

だからこそ、

困惑して悩み、いつまでたっても認められている気がしなくて、埋もれている感が強くなる。

すると、

自分に自信を持てず、自己主張ばかりが強くなって、他人を攻撃したくなる。

 

私などはそうでした。

 

そうならないように

 

常に自分の考え方が一番!ではなくて、自分の考え方で救われる子もいる。ほかの先生の考え方で救われる子もいる。

大多数に認められる先生には必ずアンチもいるはずです。
逆に、大多数がアンチに回る先生にも、隠れた信奉者がいるかもしれません。

 

そんな風に考えられれば、結果として、救われる子どもの総量は増えないかもしれないけど、救われる子どもの種類は増えるのではないでしょうか。

 

まずは、ご自分の在り方、生き方をよくよく見つめ直すことだと思います。

 

そうすると、

あの先生は、あの先生。

私は私。

 

という風に、いい意味で評価を気にしなくなります。

自分の思想、信念が形作られて、確固たるものになると不思議と他者に寛容になれる気がします。

そして、それは、自分にも寛容になれるからでしょう。

 

「自分ってこういう人間で、こういうことを大事にしたいんだもんな。」

 

そう思えれば、その職場で評価されなくても、無理に周りに合わせて自分を変えよう変えようとしないでしょう。

前向きにほかの環境を探そうとするでしょう。

 

ぜひぜひ、自分の在り方を見つめ直しましょう。

 

ご興味ある方は一緒に学んでいきましょう!