小学校の先生を120%楽しむ毎日

小学校教員の日々の振り返り。教員志望の学生さん、同業の方、保護者の方、教育に興味のあるすべての方へ。

お膳立て

私が大嫌いな「作業」です。

 

実行委員やら、プロジェクトやら、総合的な学習の時間などで、この言葉よく使われませんか?

 

「子どもが成功体験できるように支援する」という意味合いで使われることが多いように思います。

 

でも、実際のところ、支援ではなくて、活動の主導権を握りたいだけの教師のエゴではないのでしょうか。

 

「子どもを信頼して任せる」ということは、口で言うほど簡単ではありません。

 

なぜなら、教師世代は基本的にトライアンドエラーが許される教育を受けてきていないように思うのです。

 

ゆとり世代の私でさえも、めいいっぱいチャレンジして、失敗して、またチャレンジしてなんていう機会はありませんでした。

 

そもそも「成功」させることが前提にあるので、教師のそれは支援ではなくなる。子どもに選択と決断を迫っているようで、教師の意図に誘導している。

 

初任の時、学年主任に

「子どもたちが自分でやったと思わせることが私たちの仕事なの」

 

と言われた時、

 

「なんだそれ」

 

と思った覚えがあります。

 

その感覚は今も健在で、「なんでそんなに手出しするの?」と疑問に感じることが多々あります。

「これ、実行委員に渡してください」

と、実行委員のために穴埋めプリントを用意する先生の気持ちはわかります。

 

テーマ

内容

役割

今日決めること。

 

などなど、実に丁寧に、整理されています。

 

 

でも、それは渡してはダメだと思います。

時間の効率化のためとは思いますが、先生がプリントを渡した時点で、実行委員はただの当番活動。もっと言えば、先生のおつかいに成り下がります。

 

そもそも、行事など、かなり縛りがあるものに関して、実行委員やプロジェクトを立ち上げ、子どもを動かすこと自体、単なる茶番に思えるのです。だってやるべきことは決まってるわけですよね。しかも、次はない。

自由度がなさ過ぎる。

 つまらない。

 

子どもを信頼して任せるべきは

 

子ども発の活動

プラスαの活動。

 

総合的な学習の時間なんて、そういう活動のオンパレードになるべき。

 

なのに、

「今度JAの人がきてくれるよ!稲育てようよ!」

という、形でスタートした総合。 

 

稲を育てる活動から、農業や、食料問題、環境問題などについて、

深めていこうとしましたが、子どもたちの興味は稲からどんどん拡散していく印象です。

自分の関心や問題意識からスタートしたわけではないので、自然な流れなのかな、などと思いつつ・・・

 

いや、それでももっと深められるはずだ。

どこまで、支援しよう?と迷いながら半年間やってきました。

 

「先生、今度野菜を育ててみたいです。」

「小麦を育ててパンを作ってみたいです。」

「米料理について、調べてみたいです。」

「米の品種改良をしていきたいです。」

 

なかには、

「日本の消費量を増やす活動をしていきたい」

「国際機関に募金して、食べ物が少ない国に援助したい」

 

という子もいますが・・・。

 

 

まあ、稲を無理矢理育てるところから始まったわりには頑張っているよなあ。

 

さあ、どんどんやれやれ!

行動を起こせ! 

 

と、子どもたちを煽り、1時間の総合的な学習の時間で、がんがん活動させました。

 

図書室で調べ物をしている子たちもいれば、教室で自分たちの活動報告をまとめている子たちもいる。

また、外で、自分たちで作り上げた田んぼの整備、稲の観察をしている子たち。小麦の畑を作ろうとしている子たちもいる。

 

当然、全て見切れないので、その時々、安全管理が必要なポイントに立ち、子どもを見てきたつもりです。

 

 

…が、これ管理職的には、完全アウトですよね。

 

全ての場面において、安全管理は必要でしょう!

 

昨日、遠回しにご指摘いただきました。

 

昨日の総合的な学習の時間では、子どもたちに付き合い、職員室の電話を借りて小麦の種を購入できないか確認していました。

 

教室では、それぞれが活動をしているので、子どもたちが、ひょこひょこ職員室に報告や、お願いをしにきます。

「ベランダで育てている野菜を観察していいですか?」

「模造紙もらえますか?」

 

などなど。

 

その様子を見て、管理職は授業の準備不足だととらえたようです。

 

小麦の種子は事前にこちらで用意しておく。

模造紙が必要かどうか事前に確認し、準備しておく。

 

そうすれば、教室を開ける必要はないのではないのか、と。

 

安全管理のことを考えればその通り。

 

でも、それを言ったら、教師は休み時間も校庭にポイント立ちし、フロアにも教師が立っていなければならなくなります。

 

「そもそも教師がいない間、安全が脅かされるような学級経営はしていません。」

 

という傲慢さが、今回のようなご指摘を受けることになった一番の原因でしょう。

 

 

 

あと、もう一つ。

 

そうやって、先回りして教師が準備しておくことで、子どもがどんどん

 

受け身に

「お客さん」に

 

 

なっていく気がするのです。

与えられるのが当たり前になる。

 

そうしたら、主体性を発揮するまでもない状況を作り上げてしまうような気がするのです。

 

ただ、管理職に言われて、ハッとしたのは、

「理屈で子どもを動かすのではなくて、教師が何か子どもが興味を引くものを用意してあげて、こんなのあるよ?って言ってあげるのはどう?やっぱり小学校の先生の役割ってそういうところだと思う。」

 

というところ。

 

たしかに、子どもの主体性を引き出すために、自分は子どもたちに具体的なものは、何も提示していない。

 

「行動を起こすと、こんないいことがある。」

「行動を起こすことで、こんな力が身につく。その力は絶対この先もみんなの役に立つ」

「とにかく、行動してみること。行動を起こさないと、その良さは分からない。」

 

授業でもそうだ。もっと子どもを引きつける工夫や努力はするべきだ。

 

子どもがやる気を出したり、没頭するために「お膳立て」する。

そういうところが足りなかったのかもしれない。