小学校の先生を120%楽しむ毎日

小学校教員の日々の振り返り。教員志望の学生さん、同業の方、保護者の方、教育に興味のあるすべての方へ。

ストレスを感じるところに伸び代がある

教科担任制となり、5年の担任の私が6年生のクラスに入るのは、正直プレッシャーやストレスを感じる。自分のクラスのようにリラックスできない。

どうしても固くなる。

 

子どもとの信頼関係がまだまだできていないと思うし、ストレスを感じるのは当たり前。と思っていたが、実はストレスを感じる本当の原因はもっと違うところにあるのではないのかな、と思った。

 

6年生の子どもたちは、私に対し、垣根なしで関わってくる。

それこそが、私のストレスだ。

 

自分のクラスの子は空気を読む。

先生に今話しかけても平気かな?

こんなこと言っても大丈夫かな?

 

 

そういう気遣いなど一切なく、話しかけてくる。

 

だから、

 

「ふだん自分のクラスの子ならそんな絡みをしてこないよな」

 

話しかけられた時、うまい返しが思いつかないのだ。

 

担任の先生はこういう風に話しかけられた時、もしかしたら優しく受け入れて、うまく会話を成立させるのかなあ。

 

などと、考えると単純に注意したり、指導することを躊躇してしまう。

 

 

担任の先生との距離感をそのまま、私に適応しているとしたら、注意したら悪者になるのではないか、という懸念がある。

 

 「怒ったら負け」
そんな感覚に陥るが、普通に考えて自分が不快に感じたり、失礼だと感じたりしたことについて怒りを露わにすることは、人間として自然だよなあ。ということも考える。

むしろ、物分かりのいい顔をして、優しく諭すことも不自然だよな。

という気もしていて、今すごくモヤモヤしている。

 

そうした教師と子どもとの距離感や関わり方こそが、私の課題であると思っている。

何が課題かというと、とどのつまり、学級の王様になってしまうのである。

 

学級の誰よりも重視され、気を遣われる。

そしてそれが当たり前と思っていた。

そういう傲慢さこそ私の課題だ。

 

 

担任の教師が、子どもから気を遣われる存在である限り、子どもたちが主体性を発揮するときに、担任は大きな障害となると思う。担任の顔色を伺うことになる。

 

とはいえ、教師に権威は必要だ。舐められたら終わりなのである。

こちらの記事にも考えさせられた。

 人になめられて幸せになんてなれるわけがない【ライフスキル】 - かっこいい教師

 

 

教師が軽視されればあらゆる指導が入らなくなるだろう。

 

しかし、権威を保つために、子どもたちに気を遣ってもらうような関係性を築くのは、間違っているだろうし…

権威は授業によって、保たれるべきだとは思う。

 

ただ、問題なのは教科担任制だと、そのチャンスが限られている。1日1時間のチャンスで権威や尊厳を勝ち取れるほどの力量がないのだ。

 

このまま、子どもとの関係性をよしとするか、一度仕切り直すか、迷いどころだ。

少なくとも安易に子どもたちを威圧して、教師が権威をもつようなことはしたくない。

 

でも・・・このままでは学びの質が担保できない。

でも、そのために威圧するのは・・・

授業だけで勝負するには力不足だし・・・

でも・・・(エンドレスループ

 

 

まあ、とにかく自分の教師としてのスタンスを考え直すチャンス。

自分の在り方を問われることは、ストレスである。

なかなか大きな不安感を感じるし、モヤモヤもする。

 

でもそこにこそ、伸び代がある。

不安に負けず、自分の在り方を問い続け、成長していこう。