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小学校の先生を120%楽しむ毎日

小学校教員の日々の振り返り。教員志望の学生さん、同業の方、保護者の方、教育に興味のあるすべての方へ。

問いを大事にする

これも素敵な記事だ。

国谷裕子「ざらつきを残す問いの立て方」 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online

 

答えのない問い(ざらつきを残す問い)を生み出すには、

たくさんの知識を得て、全体を俯瞰できるようにすること。

 

そもそも知識がなければ、実は答えが出てるのに、答えがない問題だと思い込んでしまいますしね。

幅広い知識がなければ、全体は見渡せないことでしょう。

 

 

情報の整理は特にしませんが、大事なのは最初の資料を読み始めた際に

自分が感じた疑問を、学びを深める過程において常に忘れないようにすること。

 

これ、意外とできるようでできないんですよ。

知識が少なすぎると次から次へと疑問が浮かんできたり、単純に疑問の熱量が足りなくて忘れたり…

例えば、何かしらビジネス書を買う時、

「なんかいい感じ」

と思って、Kindleをポチる訳ですが

 

「このいい感じ」という感覚が生まれるのは、本のタイトルや紹介文を読んだ時に、自分自身が問うていることについての答えになり得ると感じ取るからだと思うんです。

でも、実際本を読み始めてみると、膨大な情報量に圧倒されて、最初の問いを忘れ、積ん読してしまう。

学びを深める際に問いを言語化し、また問いをブラッシュアップしながらインプットしていくことが大切だと、DAFLで学びました。

 

また、思い込みや、決めつけをせず、漠然としていることについて、ツッコミを入れる素朴な問いを立てられるかも大事。

 

会議では素朴な問いかけから、新たな議論が始まっていくことが無数にあったものです。

組織や社会の中でのその人の付加価値とは、問うことによってつくり上げていくもの

なのだと、私は確信するようになりました。

 

問う力――質問をするという行為は、一つの物事に対するさまざまな見方を浮かび上がらせます。

カルロス・ゴーンさんをインタビューした際、彼がこんなエピソードを紹介してくれたことがありました。彼は「今後、会社をどう成長させるか」というテーマでディスカッションをするとき、必ず「成長」という言葉の定義をその場にいる全員に質問するそうです。

なぜなら「成長」と一口に言っても、ある人は「1%」でも業績が伸びれば、それを成長と捉えるかもしれない。一方で別の人は「5%」でなければ、成長とは言えないと考えているかもしれないからです。

同じ問題意識を持っているように見える人たちでも、議論の前提となる基本的な言葉の定義すら共有していない場合が多々ある。そんな中で、「成長とは何か」という一つの質問が、みんなが「当たり前」と捉えていた物事の本質を浮かび上がらせ、後の議論を活発化させるというわけです。

 

教育現場では、本当にこれが欠けていると思います。

学校がより良くなるってどんな状態なのか分からないまま、学校経営計画について話し合い出しますからね。

細々とした話に終始してしまう。つまらないことこの上ない。

 

そんなんどうだっていいじゃん!

好みの問題じゃん!

 

何度会議中に叫びたくなったことか。

 

「ここが上手くいかなかったから、こうしよう。」

と、学校経営計画というマニュアルの修正ばかり行われ、結局歩みたい方向性の確認がないまま、なんとなくの雰囲気で流れていく。

実に虚しい。

 

 

そして、最後に刺さったこの言葉。

 

「いま」という時代は、私たちを取り巻く情報のあり方が、昔と比べて一変しています。SNSに情報が洪水のように流れ、個々人は立ち止まって考える余裕がなかなか取れない。気が付けば、自分と同じサークル、似た考えを持つ人々から発せられる情報に取り囲まれ、全く違う考え方に触れることが難しい環境に多くの人が追いやられています。

 

これ深いですね。

あるコミュニティに継続して属するとやはりその集団の考え方に同調していってしまう。今までもっていた問いをなくしてしまうこともありそうです。

 

可能な限り、多種多様なコミュニティをもつこと。

違う問いが飛び出すコミュニティに所属することは学びの価値がありそうです。