/>

小学校の先生を120%楽しむ毎日

小学校教員の日々の振り返り。教員志望の学生さん、同業の方、保護者の方、教育に興味のあるすべての方へ。

みゅうさん 〜本物のポジティブ〜

ご存知でしょうか。

 

 

 

tomosumoto.jp

 

みゅうさんについて、記事より引用。

車椅子アイドル、モデル。テレビ、雑誌、ウェブメディア等、多数に出演する20歳。高校1年のときに事故で両下肢を切断。「もっと多くの人に、車椅子を使う人のことを知って欲しい」と、表舞台に立つ仕事を決意し活動を続けている。

 

 

総合的な学習の時間に、多様な大人を学校に呼んでライフヒストリーを語っていただこうと、今動いています。

 

 

www.teachers120.com

www.teachers120.com

www.teachers120.com

 

 

昨日は、その打ち合わせでした。

打ち合わせというか、ほぼみゅうさんへのインタビューという感じでしたが

めちゃくちゃ刺激を受けました。

一夜明けた今でも、まだ痺れているような感覚。

 

私が痺れた内容をいくつかご紹介させていただきます。

 

 

 

【痺れ①】

趣味を仕事にすると相手に成果を求められるから、趣味じゃなくなってしまう。趣味は自分が満足するためのもの。だから、趣味は仕事にしない。

 

いきなり、超絶納得いくことを語ってくださいました。

これをいつから考えていたと思います?

 

小学校低学年からです。

 

なんでそういう考えに至ったかというと、TVの影響もあるとのこと・・・

例えば、「世界一のパティシエを決める大会」のような特集があったときに

「結局は相手の評価が大事」

ということを感じたそうです。

 

この感度、すごくないですか?

 

 

【痺れ②】

「楽しかったー」で終わっちゃうと仕事じゃない。思い出づくりになってしまう。仕事をやる上では、目的を一つ一つ考えて、相手に何を伝えられるかを大事にしている。

 

この言葉にハッとしてしまいました。

自分の仕事が思い出づくりになっているのでは?

 

「運動会が終わって、一生懸命頑張ったね。楽しかったね。」

「日光修学旅行、楽しかったね」

 

やべ。全部「楽しかったね」でしめてるよ・・・。

 

「なんのためにやったのか。何を伝えたかったのか。そこを最後まで忘れずに取り組まんかい!」

 

と頭をはたかれたような気がしましたね。

 

 

【痺れ③】

事故に会ってから落ち込んだ期間がなかった。ただ視野は広がった。考え方も変わったけど、性格は変わらない。

 

「だから、同じように両手、両足を失ったような子の相談になんて言ったらいいか分からない。なかなか寄り添って話してあげられないと思う。

でも、私にはポジティブしかないから、私の話を聞いて何か考えが変わったりしたらいいなーって。」

 

 

もうね、不意打ちです。

 

こっちが

「あなたの大切な話、がっつり聞きますよー」って身構える間も無く

さらっと語られるんです。

 

全く影がない。

本物のスーパーポジティブに出会えたと実感した瞬間でした。

 

そのほかにも

 

嫌いだった体育祭をどうやったら楽しめるか?

→実行委員になる→団扇をデコって友達と応援

 

など、一つ一つのエピソードがポジティブさ満載なんですよね。

 

 

まとめ

ポジティブな人って、人生に真剣に向き合っている人のこと。

人生に真剣に向き合った時、つまらないことでグジグジ悩むのは勿体無い。

自分にできること、したいこと、それを前向きに考えて人生を楽しもうとする。

それが、本物のポジティブ

 

みゅうさんありがとうございました!!

 

興味を持たれた方は、今すぐ以下フォロー!

 

twitter.com

www.instagram.com

 

 

夏休みの宿題

私は、学生時代から夏休みの宿題は、なるべく早めに終わらせていた。

 

別に夏休みの後半に予定がびっしり詰まっていたわけではない。

 

私は「やるべきこと」が横たわっている状態が嫌いなのだ。

「ああ、やらなきゃ・・・」とふとした時に考えてしまい、気持ちがどんよりしてしまう。

 

その感覚は教師になってからもある。

 

当然のことながら、子どもたちが来ない夏休みは、小学校教師にとって、はっきり言って閑散期だ。

 

成績処理、時数チェックなどの事務処理と研修がほとんど。

ちなみに、私の学校は二期制なので、成績表の所見についても夏休みのうちに終わらせてしまう。

こうして書いているだけで、早く終わらせたいという気持ちがむくむくと湧き出てくる。

 

さて、こういう分かりやすい「やらなければならないこと」をただ片付けていくことは実に簡単だ。

やるべきことが分かっているからだ。

 

小学校教師にとって、本当の夏休みの宿題は

「自分のクラスをいかにより良いクラスにしていくか」

「そもそもより良いクラスとはどんな状態なのか」

「一人一人の力をいかに伸ばしていくか」

「そのために何をしていけばいいのか」


それらを考え抜くことだ。

 

夏休みが明けたら

どんなマインドで子どもたちと関わっていくのか

具体的にどのような手立てを打つのか

 

それがはっきりした状態にしていたい。

 

そのために何をすべきかは、教師自身が考えないといけない。

 

セミナーに行くもよし。本を読むもよし。

同僚に自分のクラスのことを聞いて見てもよし。

 

圧倒的に知識量が少ないと思うので

教育の理論と実践・両方なるべくインプットしていきたい。

 

さて、どこから手を出すか・・・

 

私は、教育書を読むのが苦手だが、先日のHand-Cのイベントにも刺激を受け、「本当に今のような公教育に価値はあるのか?」「そもそも公教育の目的ってなんだ?」そんな感じでモヤモヤしていたので、いろんな先生方に紹介されているこちらの本にようやく手を出してみた。

 

 

教育の力 (講談社現代新書)

教育の力 (講談社現代新書)

 

 

とても面白い。

人類の歴史を振り返り、農業革命が蓄財の生活へシフトするきっかけとなり、そこから奪い合い(戦争)の歴史が始まったとしている。

どうすればこの繰り返される命の奪い合いを原理的に止めることができるのか?

人間は本質的に自由(生きたいように生きたい)という欲望を持ってしまっているもの。戦争は、自由への欲望の表れだとした。

では、どうすればこの欲望のせめぎ合いを軽減し、戦いを終わらせ、一人一人がそれぞれの自由を達成できるようになるのか?

ヘーゲルが出した結論は、

「自分の自由をナイーブに主張するのではなく、あるいはそれを力ずくで人に認めさせようとするのでもなく、まずは一旦、お互いがお互いに、相手が自由な存在であることを認め合うほかにない。」

 

こうした文脈で・・・

 

公教育は、すべての子どもが自由な存在たりうるよう、そのために必要な力を育むことで、各人の自由を実質的に保障するものなのです。

 

公教育の目的が出てきた。

 

これだけ知るだけでも、だいぶ自分の中のモヤモヤがスッキリするし、子どもたちへの接し方も変わってくると思う。

 

ただ、あまりにも遠いところから攻めた感は否めない。

 

もっともっと本を読もう。

夏休みはひたすらインプット。

 

そのために、今の自分の課題感をザーッとメモしておこう。

 

・一人一人がもっと主体的に授業に参加するには?

・自分が絶対に譲れないことは?

・確実に力をつけて、テストで結果を出す方法は?

・一人一人の学習へのモチベーションをどのように上げる?

・子ども同士の関わりで、学びを深めていくには?

・一人一人が日々イキイキと過ごしていくには?

 

 

・・・だめだ。

あまりにも抽象的で、課題が絞れていない。

まずはそこからだ。

 

Hand-c 自分の人生を切り拓く!

今日のイベント素敵すぎた。どれだけ素敵だったか伝える自信はないけど、自分のメモがてら記す。

最近、小学校の教師ってなんなんだ。自分は何がしたいんだと、それこそ「モヤモヤ」していた。(これは定期的におとずれる。これも、ピョートルさんが言うように、自己認識と自己開示が圧倒的に足りないから
だろう)

そんな時、DAFLで出会ったみひろさん、ホウカナイトでちょこっとだけお話しした仁禮 彩香さんとのご縁で知ったイベント。お誘いなければ、絶対知らぬままスルーしてた。お二人には本当に感謝。素敵な時間をありがとうと心の底から言いたい。

【Saturday schoolの生徒さんのプレゼン】
ガツンと響いた。
みんな自分自身と向き合っている。自分の人生に向き合っている。

超感情移入してしまったのは、「四面楚歌だと決めつけるな」という主張をしていた生徒さん。世代を問わず、あのプレゼンで勇気付けられる人はたくさんいるんじゃないかな。自分も中学生の頃出会いたかった。絶対先生になってほしい。

あと虫大好きな生徒さんのプレゼンにも圧倒された。
「1番動きたいときに、病院のベットから木と鳥を眺めていた自分はだれよりも自由を渇望している。趣味「で」生きるとそこに責任が生まれてしまうので、自由が侵害されてしまう。だから自分は趣味「に」生きる。」
という主張をされていた。こんなに考えをしっかりもっている人に自分は何も言えない。
彼の恩師のように、味方になって応援するしかない。

そして、木島さんの息子さんのプレゼン。
「僕にとって自立とは、親ではない第2、3者を頼り、安心・安全を感じること」
こういう発想はどこから来るんだろう。少しでもできる先生ぶりたくて、周りに頼ることができなかった少し前の自分に教えてやりたい。

さらに、自己認識の可能性について語ってくれた生徒さんのプレゼンはこれから自分がしようとしていることに勇気をくれた。

「Saturday schoolでは
メンターのlife historyを聞き
スクール生とディスカッションする。
(中略)
そうして、『自分はどう生きるか』いろんな人と関わって考えていきます。」

今年度、総合的な学習の時間でキャリア教育を推進していく・・・というと、なんだか大げさだが、要するに多様な生き方をしている大人たちを学校にお呼びして、Life historyを語っていただく企画をしている。

当たり前のことだが、先生以外に無数の仕事と生き方があるのに、学校には「学校の先生」しかいない。
その時点で、子どもに未来の選択肢を用意できていない気がずーっとしていたのだ。

ただ、小学6年生が、大人のLife historyに興味を持つか不安だし、そもそも、小学生が自分の人生に当事者意識をもって向き合えるのか心配だった。

しかし、生徒さんたちのプレゼンを聞いて、それはあまりに子どもたちに失礼だったと気付かされた。「自由に生きたい」と自らの人生を切り拓くこうとするパワーを感じた。「ロールモデルにしたい」と思えるようなカッコいい大人と出会えば、人は勝手に生き方を選択していくんだなあ・・・。としみじみと感じることができた。

日々、仕事に追われていっぱいいっぱいになっている自分も自分の人生に向き合って、人生をこなすのではなくて、切り拓く気概を常に忘れないようにしたいと思った。

https://www.facebook.com/events/1840459996044171/?ti=icl

自分のクソみたいな指導からの気づき

懲りずに同じ失敗をしている。

 

例えば、前回の企画も。

www.teachers120.com

 

 

実はこの日、他にも致命的なミスをクラスでしている。

それは・・・

「納得感のない指導」

をしてしまい、焦って

「感情的に怒る」

という指導。

 

それもなんと、1日に3回も。

よくもまあ懲りもせずに同じようなことができたものだ・・・。

私は心に余裕がない時、本当にこういう愚行に走る。

 

焦りが指導を雑にして、その指導に対する子どもの反応にまた焦り

さらに、パワープレイで押し切ろうとして泥沼にハマる。

 

特に、3人目の児童の指導は最悪だった。

クラスレクをやる直前に、全体の前で指導。

指導っていうか文句をつけた。

「終わっていない課題(5年生に向けた日光修学旅行のパンフレットづくり)があるのに、クラスレクの準備を優先するのはどうなんだ?」

といった感じ。

 

するとその子は、大きく足を踏みならし、自分のパンフレットを取りに行こうとした。

その態度に腹が立ち、高圧的に呼び出し、職員室で散々ダメ出しをする。

教室へ戻るとクラスレクはほぼ終わり。

 

私と職員室で話をした児童は、不服そうで、

ボソボソと一人で何かを呟いていた。

私は、冷や汗をかく。

夏休み明けに、その児童が変貌し、私の指導が全く入らなくなったらどうしよう。

そんなことを思った。

 

 

しょうもな!!

 

最悪。ここまで自分で書いてて、あまりにクソ教師過ぎて飽きれる。

 

なんの実りもない。

 

「教師のあり方として、どこか決定的に間違っている。それは、分かっている。しかし、自分のどこが決定的に間違っているのかが分からない」

 

ずーっと悶々と一人で考えていたが、

下記の本を読んで結局シンプルな答えにたどり着いた。

 

言葉を選ぶ、授業が変わる!

言葉を選ぶ、授業が変わる!

 

 

 

奇しくも、先週Amazonで頼んでいたものだ。

 

この本の冒頭に書かれている言葉が引っかかった。

 

親や教師はみな、子どもによりよく学んでほしいし、

これからの人生を自分で切り拓き、

幸福に生きていってほしいと願っています。

 

「子どもによりよく学んでほしい」

これは、教師としては本当にそう思う。

 

・・・のだが。

 

「なんで、よりよく学んで欲しいの?」と聞かれれば

「これからの人生を自分で切り拓き、幸福に生きていってほしいと願っているからです」

と本心からは、答えられない自分がいる。

 

「なんで、よりよく学んで欲しいのか?」

「なぜ、そうまで声を荒げて指導するのか?」

 

理由は簡単で、自分のチンケなプライドを傷つけて欲しくないからだ。

 

自分が無能だと思いたくないから、子どもには授業を聞いて欲しいし、結果を出して欲しい(テストの点を取って欲しい)と思う。

自分の言葉を一番聞いて欲しいからイニシアチブを取ろうとして、声を荒げる。

たった、それだけの話だ。

 

3歳のうちの娘も、自分の主張が通らない時は大きな声を出す。

「これ、食べたいって言ってる!!」

食事中、妻との話に夢中になると、びっくりするぐらいの声量で叫び出す。

 

つまり、今自分がしていることは

教師でもなければ、大人でもない。

 

子どもたちが素直で優しいのをいいことに、自己主張を過剰に繰り返しているだけの3歳児と同じだ。

 

自己有用感のみを追い求めて仕事をするのはもうやめよう。

子どもから心から感謝してもらうことで、喜んでもらうことで得られる喜びをもっと感じていこう。

 

この仕事のモチベーションの源泉が他にあることを実感しよう。

 

 

8月に企画している「先生たちの合宿」

そこで、もう一度深く自分のあり方を見つめ直せるといいな。

 

…という感じで、先週の金曜日から今日までウダウダ自分にダメ出しをしてきた。

しかし、ようやく今日こうして振り返り、ブログにまとめられるようになれたのは、やはり子どものおかげだ。

 

 

f:id:kengobonbei:20180724184628j:image

 

水泳指導のあと、これが職員室の机上に置いてあった。

 

「ちゃんとやったんだ…」

 

 

もうそれだけでホッとした。

あれだけ言って、その子からなんのリアクションもなかったらどうしようかと思っていた。

 

 

 

【今回の件で、分かったこと・気づき】

 

 

①自分が凹んだ時の行動パターンが見えた

 

自分のことが嫌いになるようなことをして、落ち込む。

職員室で、散々話して、「大丈夫だよ」と言ってもらう。

そんなの嘘!

「もうお終いだ」

↓↑100回くらいループ

「なんであんなことやっちゃったんだー」

現実逃避

(ふとした瞬間に、その時の様子を繰り返し思い出す)

自分に言い訳をする

自分の悪かったところを考える

自己嫌悪。

外部からの朗報(最悪の事態は訪れないかも、というサイン。今回の場合、日光パンフレットの提出)

再発防止を考える

自分を受け入れる(あほだなあ。前もやったじゃん、こういうこと)←イマココ

 

つまり、回復に時間がかかる。

一時の感情に流されてとった行動は、前向きに行動できるようになるまで空白を生む。その間、私は周囲に価値を生み出さない。

今回は夏休みに入ったからいいものの、こんな凹んだ状態で子どもたちの前に立っていたら、また焦って同じ失敗をして悪循環に陥っていただろう。

感情に流されてする指導は、更なるマイナスを呼び込む。

 

感情的になったらまず、感情的になっている自分を自覚しよう。なぜ腹が立っているのか、指導の目的はなにか、明確にしてから、指導にあたろう。

 

②誰かのやらかした話を聞いたら、アドバイスではなくて、まず「大丈夫だよ」

職員室で話した時に、アドバイスされるよりも、鷹揚に「大丈夫」と言われたことは、後でじわじわ効いてくるなあ、と実感した。

 

最初に、ダメな自分を受け入れてくれる第三者の存在を確認するのは大事だ。本心から大丈夫と思われているかどうかは別として、言われるだけで救われるし、少し冷静になれる。

ただ、大前提として、「大丈夫だよ」と言ってくれる人のことを信頼していなければダメだ。

 

③自分のことばっかりだった

これは、子どもとの関わりだけでなく、誰かを喜ばせたくて純粋にやることが最近少ないことに気づいた。

ベクトルが自分に向き過ぎている。自分のことばかり考えていると、何もかもうまくいかなくなる。

だから、身近な人たちは愛したもん勝ち。仕方なく、誰かのために何かしてあげる行為は、双方にストレスしか生み出さない。

家族はもちろん、クラスの子どもも、職場の人たちも、地域の人も。

 

④前向きになれたきっかけは、外部からの刺激

結局、今回は自分で自分を鼓舞できていない。

前向きになれたきっかけは、例の子どもが持ってきた日光パンフレットだ。

今回はたまたま、子どもが私に付き合ってくれて、私の望む結果を与えてくれたからいいものの、日光パンフレットが届かなければ、本格的にまた落ち込んでいただろう。

 

だから、落ち込んだ時、自分を鼓舞し、素早く立ち直る方法を知っておきたいと強く願う。

 

今回は、本当に久しぶりに何度も後悔したし、自分はダメだ、とクヨクヨした。

なんとか、気を紛らわせよう(現実逃避)として、漫画を読んだり、本を読んだりしたが、気持ちはどんどん自分の内側に向かうだけで、前向きに現実に立ち向かうファイトが湧かなかった。 

 

何か嫌なことがあると、私はまず誰かに吐き出して、ある程度、自分の状況整理をしたら現実逃避する。

しかし、この現実逃避タイムが今となっては実にもったいない気がしてくる。

 

現実逃避によって意識は内側に向くなら、たくさん人に会って話をしたり、遊んだりすれば、意識は外側に向くのではないだろうか。そうすれば、自ずと現実と向き合い、再発防止に真剣になれるだろう。そして、失敗をどうやって取り戻すかも考えられるようになるはずだ。

 

⑤余裕がない時に自分の嫌なところが出る

当たり前すぎる事実を再確認した。

 

何が余裕をなくすのか。

 

◯学習進度。

◯子どもたちが自分から離れているのではないか?という不安。(子どもとの信頼関係)

◯あの子のテストの点をあげなきゃ!という焦り。

◯保護者との信頼関係。

◯職場での信頼関係。

◯抱えている仕事量。

◯クラスの子ども同士の関係

 

まだまだありそうだけど…

要するに人間関係と仕事量だ。

 

やはり、日頃から人間関係づくりにコストを割くと、かなりプラスに働きそうだ。しかし人間関係づくりにばかり時間を費やすと、自分の仕事が片付かない。この辺のバランスが難しいが、ただこれからはあえて「関係づくり」にコストをかけよう!それが、余裕を生み出す近道に思える。

なぜなら、先週の金曜日は、朝から放課後の研修のことで教務主任と印刷室で議論した。その時、まだまだ信頼関係ができていないなあ、と痛感すると同時にものすごく消耗している自分に気づいた。

教室に着いてからも子どもたちに意識が向いていなかった。

まずは、周りの人間を愛すことで、余裕をつくっていこう。

職場のニーズを嗅ぎとれ。もちろん、信頼は勝ち取っている前提で。

本日は、研修会。

 

ビジョン共有の日。

 

 

www.teachers120.com

 

 

朝一で、教務主任から

「カリマネ会議という趣旨からすると、行事の配列をゼロベースで考え直すのは、学校としてまとまらず、推奨できない。行事ありきで、ビジョン共有することはできないか」ということを打診される。

 

ごねるでもごねないでもなく、

代替案を提案するも、両者納得せず。

 

結局、司会やる気満々でしたが、同じ学年を組んでいる教務の方が、司会をやってくれることに。

 

とても複雑な気分だったが、まあいいや。という気持ちになる。

 

でも、結局自分が司会をやらなくて正解。

 

研修ののっけから言葉選び一つ一つ。

私のものとは違う。柔らかい。

結果として、私がねらう感じで、どの学年もそれなりにワイワイやっているように見えた。

 

出来上がったのは、こんな感じ。

f:id:kengobonbei:20180720221931j:image

 

f:id:kengobonbei:20180720221935j:image

f:id:kengobonbei:20180720221956j:image

f:id:kengobonbei:20180720222004j:image

f:id:kengobonbei:20180720222028j:image

f:id:kengobonbei:20180720222052j:image

f:id:kengobonbei:20180720222116j:image

 

 

そもそも自分は学校運営に携わるほどのポジションにいないのだ。

 

それがよくわかった。

 

運営側(教務)の本音としても、「ゼロベースで学校運営考えられたらたまったもんじゃない」ということがよく感じ取れた。

 

そりゃそうだ。いままでの積み重ねがある。

かき乱されたらたまったもんじゃない。という気持ちはよく分かる。

 

でも・・・・・

でもさ。

 

すげえ考えてたんだけど!!!

 

色々と。

 

台本とかつくってましたからね。

 

ていうか、自分の企画が完全に、カリマネの研修として位置付けられるなんて、寝耳に水なんだけど・・・。

 

まあ、いいや。

とにかく、組織内の信頼をまだまだ勝ち取れていないんだな。

 

この人なら。と思ってもらえるようにならないとな。

 

愚痴りつつ、自戒しつつ。

マジでしょうもない

煮え切らないブログ記事だけど。

 

最後まで読んでくださった方。ありがとう。

 

このブログから明らかになる教訓はただ一つ。

 

順番を間違えてはいけない。

 

その組織にいかにコミットしたのか。

そこが大事。

あなたの知識、経験、そんなものはどうだっていい。

ようはあなたに貴重な時間を委ねられるか否か。

ただそれだけだ。

 

 

ビジョン共有の価値

昨日のブログ。

思いのほか反響があり、嬉しい限り。

 

実は、昨日のブログで書いた、「先生のお楽しみ会」は、昨年からずーっと温めてきたもので、私の近辺にいる人には何度も繰り返し言ってきたことではあるんです。

 

www.teachers120.com

www.teachers120.com

www.teachers120.com

www.teachers120.com

www.teachers120.com

www.teachers120.com

www.teachers120.com

 

クラスでも学級目標をつくる。子どもたちが、お互いの価値観を共有して、群れが集団になるために、クラス作りのために必要な過程だと思っている。

「いやいや、私は授業でクラスを作りますから」

という先生も何気に、クラスの組織風土や文化、目指すべきクラスを事あるごとに共有し、巧妙に浸透させているように見える。 

 

そもそも、子どもたちは、そのクラスの理念に惚れ込んでそのクラスの一員になるわけではない。共通の目的意識があって、集まるわけでもない。

ただそのクラスに振り分けられ、担任があてがわれているだけだ。だから、みんなが共感できる学級のビジョンの共有が必要となる。

 

職員集団も同じ。

先生という職業に何かしらの魅力を感じて集まったただの烏合の衆。

それは、先生=公務員=安定した収入を求めてきただけかもしれないし、

日本の教育を変えてやろう!という志を持ってきたのかもしれない。

 

少なくとも

その学校の教育目標に共感して集まった職員はいないだろう。

毎年、集まった職員のメンバーでワクワクするようなビジョンを創り上げていくことで、チーム力を上げて、業務にあたることは一見非効率で、ただの理想論のようだが、実は現実的に必要なことなのではないだろうか。

チームとして成果を出すことを意識できれば、他のクラスのことも「自分ごと」になるはず。そうなれば学級崩壊は起こりにくくなるだろうし、仮に起きても、それは担任の責任ではなくて、チームの責任。1人で背負い込まずにすむので、一回の崩壊で潰れることもなくなるだろう。

いっつもいっつも学級崩壊してから、対症療法的に、他の先生たちが重い腰を上げて、仕方なく、空き時間に崩壊しているクラスに入る。そんなの非効率だ。

怖い先生が入れば、それなりの体裁は整えられるだろうが、子どもたち同士の信頼関係もまた崩壊しているので、互いに認め合い、高め合うようなクラスになるまでは時間がかかるだろう。

そうこうしている間に、1年間は終わる。学びのないまま。「人間ってクソだな」って思いながら。(それは言い過ぎか)

 

 

ただ、正直にいうと、昨日ブログに書いた「先生のお楽しみ会」という会の持ち方は、前任校の校長先生が導入したものなんです。

 

その当時、組んでいた学年の先生との仲が良好だったからか、ビジョン共有をしたおかげかわからないけど、私はその年、学年の「チーム感」を感じました。

 

www.teachers120.com

 

 

 

 

さて、組織論で、必ず出てくる「ビジョン共有」。

実際のところ、ビジョンを共有することで、どれくらいの効果があるのだろうか。どんな変化が起こるのだろうか。

もちろん、形だけのビジョン共有をしたところで、日々の業務になんの変化も与えない。

ビジョンの共有の際、価値観を露呈することになる。そこでどれだけ、あたりさわりのない一般論的な価値観から、その人個人の尖った価値観を引き出すことができるかが肝だと思う。

同じ職場の人間が実際のところ「何を大事にしているのか」が分かっていれば、職員同士の関わり方も変わってくる。自分と共感できないところに関して、とことん議論するのか、それともそこには触れないのか、どちらにしても、相手が大事にしていることを意識して関わると、腹の底で思っていることを隠しながら、だましだまし仕事をするよりも、一歩先に進むことができると思う。このメンバーで何ができるかを、前向きに考えることができると思う。

 

自己開示して、深い対話が成立し、めでたくビジョンの共有が出来た時、職場はどのように変化するのだろう。考えただけでワクワクする。

と同時に、本当に価値があることなのか疑わしいので調べてみた。

 

ビジョン共有 人は動く: 日本経済新聞

 

ビジョンの共有は、一人ひとりが自分ごととして現状に向き合い、課題解決に向けて自発的に行動することを促す。

 

なるほど。いいじゃん。

 

ミッションとビジョンの共有で企業はもっと強くなる! | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

奇をてらったように見えるかもしれない制度も、論理的に試行錯誤しながら形成した結果。そういう意味では、失敗も経ているので時間がかかる。一朝一夕ではできません。「他の企業がやっているから」といって右へ倣えではなく、どうすればミッションを実現できるかを、正攻法で考えていったからこそだと思います。そういう信念のある経営者がコツコツとつくっていく組織こそ成功につながると思いますね。

 

なんか、ここまで調べて、

「ビジョンの共有はリーダーの役目なの?」

という疑問が湧いてきた。

 

みんながワクワクするビジョンを作り出して、それをみんなと共有することで、組織は変わる。

そういう風に語られていますね。

 

学校のリーダー(校長)は3年くらいで変わってしまう。そうした条件の中でも、強力なリーダーシップを武器に、トップダウンでビジョン共有をして、成果を出している校長先生はたくさんいる。

 

しかし、そうした校長先生の登場を待っているだけで何もしないのは勿体無い。ていうか、毎年必ずメンバーチェンジすると分かっているんだから、歓送迎会の準備をガッチガチにする前に、毎年そのメンバーでワクワクできるビジョンを共有していった方がパフォーマンスにつながるはずだ。

 

要するに、私はチームとしてみんなで同じゴールを目指して、一人で目指す以上のパフォーマンスが出せるようにしたいらしい。

どうやら、それは「チームビルディング」という括りのことらしいので調べて見た。

 

・・・おお、あった。

かっけえ。「人と組織を強くするメディア」そんなのがあるんだ。

 

 

lightworks-blog.com

 

 

 

こちら秀逸で。

そもそも、「チームとはなんぞや」というところから、明確に定義しています。

学習を通して価値を創造し、メンバー一人ひとりが成長するメカニズムを持つ人間の集団がチームです。

 

さらに、チームの目的(チーミングする目的と言い換えてもいいのかな?)についても

チームの目的は、組織としてのパフォーマンスの向上と個人の成長ということになります。チームビルディングはこの目的を果たすための手段ということです。

 

まだ続きます!こっからが大事!

 

逆に言うと、団結心、風通しのよい雰囲気、良好なコミュニケーションなどは好ましいことですが、それらがチームビルディングの目的にはならないということです。

 

おお・・・

なんだかにべもない感じですね。

 

「いい感じのみんな仲良しな職場にしたーい。」

っていう人は、むしろチームビルディングをやっちゃダメでしょうね。

 

 

さらに気になる記述も。

 

アウトプット(成果)の達成目標は、達成状況が客観的に判定できるものでなければなりません。数字のような具体的なアウトプットを設定する理由は次の通りです。

 

 

ここなんですよね。

「達成状況が客観的に判定できるもの」を極めて用意しづらいよねって思うんです。

教育効果って切り口次第で、どうとでも測定できるだろうし。

だからこそ、教育現場ではどういうことが「成果」なのか。そこをみんなで価値基準をすり合わせながら、じっくり対話していく必要があると思うんですよねー。

 

教室でヒットを生み出せない時は、職員室が救いになる・・・こともある

業者から購入しているテストの点を取らせるための授業

そんな授業をしてしまった。

夏休み前までに、学年で揃えてこの単元まで終わらせましょう。

という、ボーダーラインに届きたくて、つい焦って雑な授業をしてしまう。

 

 

本来だったらもっと面白く授業ができたかもしれないところを

実に無機質に、一問一答みたいな感じで子どもに投げかけて

授業が進んでいく。

 

実にもったいないし、申し訳ない。

そんな気持ちでいっぱいだった。

だからそんな日は、子どもとの関わり方も消極的になってしまう。

 

うーむ、良くない。

実にもったいない1日だった。

夏休みが明けたら、時間配分をもっとシビアに考えていかねば。

 

そんな悶々とした思いを抱えたまま、子どもたちを帰して

職員室へ。

職員会議が始まり、だんだんモヤモヤも消えていく。

職員会議も終わり、学年の先生たちと学年会議。

今度、横浜市の防災センターへ社会科見学に行くので、その打ち合わせ。

 

その中で

西日本豪雨の被災地へボランティアに行く人たちのことが話題に出た。

著名人が、一般の方に混じってボランティアをしている。

wezz-y.com

 

 

実際に行動を起こしてボランティアに参加する人ってすごいと思う。

それが偽善だろうが売名だろうが何だろうが、素晴らしい。

私にはできない。

 

どうしたら、そんなことができるんだろう。

などなど、様々な話をする。

 

そのあと、今週金曜日に行う

職員全員で対話して、今年1年間の各学年ごとのビジョンを共有する会

「先生のお楽しみ会」の打ち合わせ。

 

1年間何を大事にして、子どもたちと向き合いたいのか。

いつまでに、どんな子どもたちの姿が見たいのか。

そのために、どんな手立てがあるのか。

行事をどう利用して、目指す子どもたちの姿に近づけるのか。

などなど・・・

 

学年でワイワイ話し合って、最後に全体の場で

1年間、子どもたちのこんな姿が見られるようにしたい!

と発表して行く。

 

一応、カリキュラムマネージメントとして位置付けられている時間に

ねじ込んでみました。

 

さあ、どうなることやら。

 

今日は、去年学年を組んだ先生から

「特に課題感もない中で、こういうことをやってもなかなか難しいと思うよ。」

とはっきりと言われて少々ショックを受けました。

 

自分の企画にダメ出しが入ると、傷つくのはなぜだろう。

自分の企画を否定された時、自分が否定されたように感じる。

自分の企画=自分ではないのにね。

 

 

これは、悪癖だ。

「自分のことを認めてくれていないから、ダメ出ししてくるんだ」

というマインドセットで、相手のアドバイスを聞いても

全くもってプラスに働かない。

 

相手の言っていることが、善意か悪意か

そんなことをビクビクと推し量ろうとするのは

時間の無駄だ。

 

それより、自分の目的は何で、

その達成のために、素直にアドバイスを聞くか

我が道を行くか。

 

それをひたすら考えていくべき。うん。そうしよう。